人生最初の出張は阪神淡路大震災後の大阪だった
阪神淡路大震災の災害復旧だった。
小樽から新日本海フェリーに乗って新潟で降り、そこから高速で大阪に向かった。
なんとか指定された場所に到着すると・・・倉庫を改造した宿?だった。
八畳ぐらいの広さを仕切って部屋らしくして、そこに押し込まれた。
次の日から仕事が始まった。
崩れた家屋の柱などの木材を4tダンプに積んで焼き場に運ぶ運転手だ。
短い距離だけど大混雑で、一日二往復しかできなかったのを覚えてる。
あと、思い出深いのは芦屋の高級住宅街かな。
みんなご立派なおうちばかりで、仕事に行ったうちは、弁護士だったか医者だった。
なにがすごいってガラスの玄関ドアが縦に開くことだ。
仕事してたらお向かいさんからデザイナーのkoshino三姉妹の一人が出てきたのも覚えてる。
あとは宿の近くにおでん屋さんがあって頻繁に通ったこと、近くの焼き鳥屋さんにもちょくちょく出入りしてたし、駅前のパチンコやで勝ったことかな・・・
一回だけ難波まで遊びに行ったな。
そんな暮らしも突然、終わりを告げた・・・
札幌で仕事だからすぐ帰って来い、とのことだった。
帰りは、たしか出来たばかりの関西新空港から飛行機で帰った。
大阪は東京よりも面白い場所で俺は好きだ。
東京は住んだことないけど・・・
次の出張は・・・思い出したらまた書こう。
でわ、おやすみなさい